佐久間 修一さん
プロフィール
1967年、東京生まれ。元システムエンジニア 1998年結婚。妻はグラフィックデザイナー。結婚後に難病が発覚。その後退職し “専業主夫”に。難病が快癒後、結婚13年目に「妊活」を経て2012年6月長男誕生。念願の「子育て主夫」へ。2013年6月地元足立区のパパ支援団体「あだっちパパ」結成。2014年10月にファザーリングジャパン非公認団体「秘密結社主夫の友」を結成。足立区子育てサポーター、(公社)全国保育サービス協会認定ベビーシッター。2020年6月にアメリカの映画「Dads 父になること」に出演。AppleTV +にて公開中。
今までのストーリーをお話しいただけますか?
北海道の大学に行っていたんですが、大学3年で中退。東京に戻ってきて、もう一度大学に入りなおそうと思っていました。大学に行くつもりで、予備校に行きつつ過ごしていました。演劇もやっていて、劇団員が食べられるようにするために会社にしようと、バブル期だったこともあり、人材派遣会社を作りました。そうしたらバブルが弾けてしまい、会社をたたみました。
うわー、そんな時代があったとは!
そんなときに、友人から仕事を頼まれました。特殊な言語のシステム構築でした。中学時代から友人とポケコンでシステムを作って遊んでいたこともあり、通常2年くらいかけて覚えるシステム言語を3週間で覚えました。その仕事を機に、そのままそこで働くことになりました。その後ヘッドハンティング的に、計4社を渡り歩きました。
その後、結婚されたんですよね。
管理職業務に移行するという内示が出たころは、30歳でSEということで、かなり無茶な働き方をしていました。人間ドックを受けたのが4月、その後「精密検査を受けてください」ということになりましたが、6月に結婚。結婚式のあと、1カ月後にサルコイドーシスという免疫系の難病であることがわかりました。肺が痛いとか、自覚症状もあったんですが。
結婚の1カ月後に難病発覚とは、驚きましたよね
夏ごろにはどんどん症状が悪くなり、発作が出たりして、秋ごろには通勤できなくなりました。今までたまった有休もたくさんありましたから、10月から休職しました。病気のため皮膚は少しの刺激でも痛く、真冬にパンツ1枚で生活するような状態になりました。温かいとだめだし、温まるとだめ。味噌汁を飲んで温かくなるのもダメでした。発作が続き、医療費もかかる。自分は30歳で、7歳年下の23歳の妻に自分の面倒を見させるなんてできないと思い、「離婚してください」と頭を下げました。
すると、妻からゲンコツを食らったんですよ。頭を上げたら、妻は泣いていました。離婚したら死のうと思っていることが、妻にはばれていたんですね。
「私がイヤだから、生きてて」と言われました。
「でも稼ぎは?」と聞くと、妻は「何とかする。稼いでくる」と。
そこから主夫になったんですね
もともと夕食は僕が担当していましたし、家のことをするのは苦ではありませんでした。その後、主夫のグループに合流しましたが、「子育てしていない人は、主夫とは言えない」という雰囲気がありました。
そんなことも要因となって、妻に子どもが欲しいと直訴。そのころには病気が消えていて、子どもを作っても大丈夫、遺伝的なことも心配ないと医者からも言われていました。でも、妻は子どもはいらない「2人でいいじゃない」ということだったんです。
そうか、パートナーの壁が厚かったんですね
妻は仕事が大好きで、「産むのはいいけれど、子育ては私がやるの?」ということだったので。
どのくらい安心できたら、「産んでいい」と言ってくれるのかと思い、それから2年間、妊娠、出産、育児についてたくさん勉強して、妻に交渉しました。妊娠、出産はもちろん、妊娠のプロセスから産後うつ、生理不順や子宮の病気、子どもの教育のことなどまで。
そして、妻から「産むだけ産むから、育てて」と、OKをもらいました。
じゃあ、しゅうちゃんの転機は、子どもが生まれた時ですか?
うーん。転機って言われると、どこなのかなぁって考えちゃいますね。いろいろあったけど、自分の中では、病気や、子どもが生まれたから、大きく変わったということでは、ないんですよ。あえて言うなら、金髪にしたことですね。
金髪にした時が転機!
ずっと「男は仕事、女は家庭」という意識を持って生きてきました。病気になってからも、そのうち会社に戻る、社会に戻る、っていう意識があったんですよ。主夫になって平日に家にいると、周りの人がひそひそ話とかしてたんですよー
そんな気持ちを振り切りたくて、金髪にしました。これで行くってね。すると、ひそひそ話がなくなりました(笑)。
絵本読み聞かせ 秘密結社主夫の友のイベントで
地域のイベントでバルーン作成
映画『Dads 父になること』に出演!これからやりたいことは?
撮影があったのは、1年半前の2019年1-2月。映画の内容が、「お父さんと呼ばれる人自身、自分が責任者であることを自覚しよう」というような内容なんです。自分自身、父親として稼ぐだけじゃない、父親の役割は多岐にわたるということを実感しています。
それで今、3つのことを考えているんです。
1つ目は、子どもが生まれてからというよりも、まずパートナーが妊娠中のパパたち向けのプレパパセミナーとして情報提供したいと考えています。
2つ目は、シングルマザー支援。
3つ目は、これまで同様「秘密結社主夫の友」の活動を続ける。
やりたいこと、いっぱいですね
妊娠したら、パパも一緒に妊娠して、出産する。生まれた子に対して、パパも責任者という考え方を当たり前にしたい。
あと、成長とともに、子どものステージが変わっていきます。わが子は小学生になりましたが、自分が見ているところが変わってきますね。だからこそ、これから父になる人たちに「君たちに何かあれば、僕らがケアする」と伝えたい。苦労しなさいという時代じゃないからね。持ちつ持たれつです。
家族で東京ディズニーランドへ
取材・文:高祖常子(FJ理事、子育てアドバイザー&キャリアコンサルタント)